ベランダ畑、時々山から ALS患者としての日々

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zoom RSS 2014/11/18 市民のための環境公開講座 竹内洋岳さん講演

<<   作成日時 : 2014/11/30 12:22   >>

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 もう2週間ほど前になりますが、(公社)日本環境教育フォーラム、(公財)損保ジャパン日本興亜環境財団、損害保険ジャパン日本興亜(株)が主催する市民のための環境公開講座に出かけてきました。

 ”「持続可能な社会」は実現するか”というテーマで3つある講演の一つがプロ登山家竹内洋岳さんの”「自然と向き合う心」を育てる経験”という演題でした。

 半年くらい前から申込んでおり、どうしても行きたい講演でした。
 もう一つ聴きたかった「里山資本主義」の講演は仕事の都合で行くことができず残念。



 昔はたしか安田生命ビルだった新宿西口の高層ビル。

 今は損保ジャパン日本興亜本社ビル。ここの2階大会議室へ向かいました。

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 講演前に内緒でパチリ。

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 レジメはこんなんでした。

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 講演会は2時間ほどで、最初は講師の紹介があった後、15分位の14座登頂までのビデオ。

 それを見た後、はじめて竹内さんが登壇。

 竹内さんのことは自著などを色々読んでおり、NHKなどのテレビでもその登山のあり方など興味深く見守ってきました。

 昔、まだ人となりを知らない頃、山と渓谷の登山用品の広告などで拝見し、、モコモコの高所用羽毛登山服に身を包み、サングラスにごつい顎の姿を見て、むちゃくちゃマッチョな登山家だ!と思っていました。

 ある日のこと、テレビでご本人の姿を拝見すると、ビツクリ。

 背は高いが身体自体は大変に華奢だったのです。ごついのは長い顎だけでした(^^;;






 講演は、幼いころは虚弱体質で運動は大の苦手、という話から始まりました。

 勉強もできない、身体も弱い、運動もできないの三重苦だったと・・・


 小3から子ども体験教室というのに入って、自然い触れ合う機会を得て、そこで出逢ったカウンセラーに色々教わったそうです。

 そこで、人生を狂わされたと・・・

 なかなかユーモアたっぷりのお方。




 高校で、どこか部活を選ばないといけないので、人の少ない人気の無さそう香道部か山岳部に目をつけ、山岳部に入ったそうです。

 その時点では自然や山登りをさほどはいいとは思っていなかったそうですが、顧問の先生には影響を受けたそうです。雪山はいいぞ、岩登りは面白いぞ・・・

 ただし、高校では雪山も岩登りもご法度。

 大学に入ったら山岳部に入りたい。

 で、たまたま受かった大学に幸いにも山岳部があり入部。

 そして初めてヒマラヤ、シシャパンマに行ったそうです。

 大学一年なので、ドレイ、下っ端、小間使い。登頂のチャンスはなく悔しい思いをしたそうです。 また来よう!

 ヒマラヤの立ち姿に惹きつけられたのでした。





 8000mの高所。 飛行機が飛ぶ高さ。

 寒く、空気も薄い(地上の1/3)。 そのままそこにほっぽり出されたら5分で意識を失い、10分で死ぬ世界。

 8000mに立ち入っていけるのはアネハヅル、インドガン、そして人間だけだそうです。

 そして自ら好んでいくのは人間だけ・・・

 人間が何故立ち入っていけるのかは、まだ分かっていないそうです。

 竹内さんは高所もメスナーと同じように無酸素登山をしています!


 本来は入っていけない領域。


 竹内さんは、ヒントとして、ジャック・マイヨールの話をしてくれました。

 海の深みまでスキンダイビングで潜っていく身体。何故そんなに深いところまで行けるのか分かっていない。

 イルカやクジラの持つ”ブラッド・シフト”という能力が人の体にあるのかもしれない。

 いつか海に戻らなければいけない日が来た時のための・・・


 高所登山ができるのも、昔先祖(これは人ということでなくもっと遡ってのイメージでしょう)が空気の薄い環境にいたからかも。

 薄い空気の中で生きる能力が残っているのではないか・・。そうした潜在能力を引き出すことで、8000mの高みにも行けるのではないか。


 大昔、生物が海から陸に上がる時、ちょっと顔出して、苦しい。戻る。また顔出して、苦しい。戻る。

 BC(ベースキャンプ)からC1(キャンプ1)へ登り、無理やり泊まって、ゲーゲー吐く。なんとか一晩生き延びてBCに戻る。C1で嫌な思いをしたくせにまた登る。C1は大丈夫。

 そしてC2でまた苦しんで吐く。やめればいいのに又上がる。

 ジリジリと繰り返し、”潜在能力を引き出して”登る。

 数万年の進化の歴史を、短い期間で引き出す。自分自身の身体で進化を試す。どこまで進化していけるか、生き延びられるか、を試している・・・・


 とても興味深い話でした。





 このあと1989年に日本の大登山隊でマカルーに挑んだ話。

 隊長がいて、 社長−部長−課長−係長−新人社員 がいる感じ。

 会社の業務計画に沿って、着々と進む。登頂する係、行かないでサポートする係、下山する隊員を迎える係。そうした役割分担がある。

 その時は下っ端平社員で回りは皆先輩。色々教わり、面白くて仕方なかったそうです。
 
 そして、その後も色々誘ってもらったそうです。

 そうしたことが続いた後バブルが終わり、2000年代になったら、これまでような大規模な登山計画が無くなり、誰も誘ってくれなくなったのだそうです・・・


 はたと気がついた。

 山登りの仕方は教わったけれど、ヒマラヤへの行き方は教えてもらわなかった!






 英語バリバリの友人がドイツの国際隊の登山に誘ってくれたのだそうです(この辺は本にも書いてあったな・・)。

 世界中から集まる登山隊。自分はハロー、サンキューしか喋れない。

 でも友人が英語達者なので問題ない。

 貯金をつぎ込んで、当時既に務めていたので社長に直談判し2ヶ月の休職扱いにしてもらい・・・・。

 出発の1週間前に、急に友人から、病気になり、行けなくなった!・・との連絡
 

 たった一人でパキスタン、イスラマバードに向かったそうです。

 ロビーで待っていたら髭のおじさんが通りすぎる。すれ違う。もしかして・・・

 ラルフ? ヒロ?

 その後多くのヒマラヤを一緒に登ることになったラルフ氏との出会いだったそうです。

 ドイツ、オーストリア、ラトビア、スペイン・・・から集まったパーティ。

 英語が喋れず苦労すると思ったらそうでもなかった、のだそうです。

 登るのはナンガパルバット。共通の目標。

 こっち? そ、こっち・・ で通じる、世界。


 一人でオドオドしていたら、みな優しくしてくれて楽しかったのだそうです。

 日本隊なら、立ち食い、荷揚げ・・登山中心。

 国際隊は食堂にテーブルクロス、お茶の時間、ダンスパーティやバースデイパーティ。

 山の中にいること自体を楽しむ登山隊だったそうです。




 C2で皆が閉じ込められて、どうするかディスカッションを始めた事があったそうです。

 竹内さんは聞いているだけでした。最後、ヒロ、お前の意見はどうなんだ?と聞かれたそうです。

 ジェスチャー混じりで、”半分はルート工作、半分は下に降り食糧調達、そうすれば登頂のチャンスが増える・・・”

 と答えたところ、皆からは”ふざけるな、今すぐ降りろ!”とコテンパンに怒られたそうです。

 日本式の登山のやり方だったのです。

 国際登山隊は皆が平等に同じリスクを背負って、同じチャンスがあるべき、という考えだったのでした。

 ここから、新しい山登りの仕方が始まった・・・・







 その登山のあと、ラルフ氏からはカンチェンジュンガに誘われたそうです。

 客扱いはしない、パーティとして仲間として行くなら、一緒に行こう!

 ラルフ、その後14座のウチ7座を一緒に登った女性ガリンダとパーティを組んで登ったそうです。

 下山後はいつも次にどこ行こうかを決め、また翌年集まって登るというパターンに。

 次の山を見つけるために、山登りを繰り返しているうちに、3人で”この先の目標を作ろう”ということにいなり、それが8000m峰14座登頂だったのだそうです。

 ラルフはドイツ初、ガリンダは女性初。竹内さんはもちろん日本初。

 誰もが死なずに登りきろう....






 それを決めてから、自分から新聞社などにFAXを送り、記者会見を開いたのだそうです。
 
 それまでにも14座を目指した登山家は何人もいましたが、途中で遭難し命を落としてきています。

 竹内さんは、自分の覚悟を明確に宣言したかったのだそうです。

 登り切ってみせます、死なずに戻ってきますと、宣言したかったのだそうです。

 その証が”プロ登山家”と名乗ること。

 ○◯家、って特に資格入らない、名刺を作れば良い。誰もが言っただけでなれるもの。
 胡散臭く、怪しい。 ○○家は好きな時になれるし、都合が悪くなったら辞められる。

 自分は辞めません。

 最後まで登山家としてやって行き、14座を登ってみせる。



 

 ガッシャブルムII、10座目。

 14座を目指してきた日本人にとって10座は大きな壁だったのだそうです。皆10座を超えることができなかった。

 そして、10座目のガッシャブルムIIで雪崩で遭難。

 九死に一生を得たことはご存じの方も多いでしょう。

 雪崩で落ちる間は冷静で、あの辺を落ちているな、ならばあの辺で停まるかなと考えていたそうです。

 だが、停まるはずのところで止まらない・・・

 雪に埋もれた時には、すさまじい怒りが湧いてきたそうです。

 雪で息ができない。死ぬまでに15分と言われているのはこのことか・・・

 やがて、色々な登山隊が救助に駆けつけ、引っ張りだされたそうです。

 実は、背骨が一つ潰れるような重体・・・

 そりに乗せられて降ろしてもらったそうです。そりに乗るまでは歩けと言われ・・・

 ガタンガタン揺れるそりでC2に収容。

 その間、錯乱状態で、”助けなくてもいい、ほっとけ〜!と叫んでいたらしいのです。

 肺も片方潰れており、”朝までもたいない、家族にメッセージを残せ”とも言われたそうです

 酸素マスクがあてられ、呼吸がやや楽に。

 何でもっと早く持ってこないんだ・・・

 このO2ボンベは半分しかない。これが無くなったらダメなんだぞ。


 別の山にいたラルフが遭難を伝え聞いて、急遽パキスタン政府に掛け合い空軍のヘリが救助に。


 ヘリに乗るためテントの外に出たら、寝袋が一つ。

 それまで自分だけが遭難していたと思っていたが、そんなことはなく。

 自分の後を登っていた仲間の一人は亡くなり、一人が一時助かったが、容態がひどく結局亡くなった。

 そのため余った半分の量のO2ボンベのお陰で生き延びることができた。

 それを見て、”生き延びてみせるから、降ろしてくれ!!”と叫んだのだそうです。





 本来助からなかった遭難。一度死んでいたはず。少しづつ新しい命を分けてもらった。

 ガッシャブルムIIからは自分の足で降りてきたのではない・・・


 翌年ガッシャブルムIIに登ったのは、登り直しに行ったのではなく、降り直しに行ったのだと・・・


 助けてくれた人が誰1人欠けても助かることはできなかった。


 ガッシャブルムIIへの再挑戦は遭難の翌年で、背中をボルトで固定したままの登山。

 足や手の骨折ではなく、しかも背骨も一つが潰れるもので、歩くことは早くに出来たのだそうでした。






 14座登頂は果たしたが、それは登り降りしてきた一つの結果でしか無い。階段の踊り場みたいなものなんです。

 次の登山をするために、14座に辿り着いただけ。

 どこまでプロ登山家として登っていけるかを自分で試している。死ぬまでにどこまで登りきれるかを皆さんに見続けて欲しい・・・・

 今日は持続可能な社会というテーマとは関係ない話をしてきましたが、

 私が登山を続けてきたように、ひたすら続けていられるか、続けていけるか、ということに他ならないのではないか、

 と思っています。 という締めくくりでした。





 お土産のハガキ。

 14座の名前くらい覚えてくださいね〜 って。

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 話に出てきた”ブラッド・シフト”について質問したりして、直接お話することができたことも嬉しい講演会でした。




P.S. 友人のULGマスターTrさんが、釣友だったとは・・・!




 









 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
一気に読ませて頂きました。日本にも立派なプロ登山家がいらしたのですね。私は初めて聞くお名前でした。
ヒマラヤ8000m峰完全登頂なんで気の遠くなるようなお話です。
azmさんは本当に博識ですねー。講演会で質問までされるなんて。本も沢山読んでいるのでしょう。

azmさんを見習って来年はいろいろな分野の本を読んで、知らない世界を覘いてみたいです。
勉強になりました。有難うございます。
haruchan
2014/12/12 22:03
haruchanさん>ども! コメントありがとうございました。竹内さんのことは前からTVや著書などで知っていたので、どうしても聴きたい講演でした。行くことができて本当に良かったです。先鋭的な登山家なんですが、その人となりはそんな尖った印象は全くなく、背は高く顔はいささかごついものの、ひょうひょうとして気さくな感じの方でした。常に進化し続けること。いい言葉でした。
azm
2014/12/13 16:52

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