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zoom RSS 奈良出張 その3  飛鳥の里

<<   作成日時 : 2014/12/14 14:49   >>

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 ・・・承前。

 15:30頃、ヒアリング等、今回の出張のミッションが終わり、帰路に。

 朝ホテルで手にした奈良のガイドパンフを見ると・・・

 おおお、帰り道(少し寄り道すれば・・・・)、明日香村を通れるじゃないか。

 石舞台古墳くらいなら寄っていけそうだ。

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 日暮れ間近に石舞台古墳。

 国営飛鳥歴史公園の一画。

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【国営飛鳥歴史公園HP】

”墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状で有名な、わが国における代表的な方墳です。

天井席の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。

被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

1933年(昭和8)〜35年(昭和10)の発掘調査で方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、その上で築造は7世紀初め頃と推定されています。”





 以前から一度は見たい、触りたい、◯◯りたいと思っていた?石舞台古墳。

 やはり黒岩重吾などの古代歴史小説で仕入れた、蘇我の馬子、入鹿、聖徳太子にまつわるエピソードが色々想起されて仕方がない。

 そして、中大兄皇子と中臣(のちの藤原)鎌足による入鹿殺害の乙巳の変、つづく大化の改新、天智天皇(中大兄皇子)亡き後の天武による壬申の乱への流れ。

 最もワクワクする古代史。

 その舞台になったのがこの飛鳥の地。

 今までは、紙の中の世界が、実際の地理、土地の空気、地形、と結びつき、それはもうワクワク。


 さあ、石舞台だ。

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 人によっては、あら意外に小さいのね・・とがっかりする人もいるようなのだが・・・

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 いやいや、どうして。

 重厚な石のフォルム。

 やっと逢えたね。

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 適度な高さ、下地の良さ、色々な課題が楽しめそう・・・・




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 あら。やっぱり・・・



 それは冗談として・・・

 見ようによってはスフィンクスにも。

 もっとも創建当時は墳墓で土に覆われていたはず。

”石舞台古墳は古くから、墳丘上部の封土を失い、石室の天井石を露出させていたようで、各種の文献にそうした意味の記述を見ることができます。” (同上)



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 玄室への通路、羨道。

 裸眼平行立体視(※)でどうぞ。

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 玄室の入り口は3m×3mほどの大きさ。

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 wikipediaによると・・・


”埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、西南方向に開口している。花崗岩で作られた石組みである。玄室は、長さ約7.7メートル、幅約3.5メートル、高さ約4.7メートル、羨道は長さ約11メートル、幅2.5メートルの規模を有する。また、石室内部には排水施設がある。約30の石が積まれ、その総重量は2,300トンに達すると推定されている。”



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 埋葬品はとっくのとうに盗掘されていたらしい。



 いやぁ。来てよかった。

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 ほんの20分ほどの滞在。

 寒い日の閉館間近で他に人がいないのも良かった。

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 さあ、帰ろうか。

 大和八木へ、飛鳥の郷の細い道をくぐり抜け北上・・・


 Chさん、ちょっと待った。

 左の駐車場に停めて!

 なんと、「飛鳥寺」が道の脇に。

 もう暗くなりつつあるが、ここまで来て一目でも見ない手はない。

 16:43。

 
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 wikipediaによると、


”蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。”


 今は飛鳥の里の田んぼに囲まれて、こじんまりとした飛鳥寺だが、創建時は”、南北293m、北辺215m、南辺260mの台形であったことも明らかになっている”のだそうだ。


 当時の先端的テクノロジーとともに日本に渡来した仏教を広めようとする蘇我、それを阻止しようとする物部、中臣の勢力。

 政敵の物部氏を倒し権力の中枢を得た蘇我。


 飛鳥寺は、規模は小さくなったものの、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)とともに、当時からこの地に残り、そんな歴史を見続けてきたのだ。




 本尊の釈迦如来像こと飛鳥大仏。

 年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われているそうである。

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 推古天皇が止利仏師(とりぶっし−鞍作鳥・鞍作止利 くらつくりのとり、百済からの渡来系氏族の一人)に作らせたものだという。

 法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像も鞍作鳥の作だ。

 
 同じく法隆寺にある百済観音にもお顔が似ている。

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 蘇我氏は朝鮮半島の百済との結び付きが強く、仏教僧を始めいろいろな技術者を百済から招いていたのだ。


 日本最古の仏舎利も・・・

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 飛鳥寺には、聖徳太子の仏教の師である恵慈(高句麗僧)と恵聡(百済僧)の2名の僧がいたそうだ。

 本尊の脇には、 父,用明天皇の病気回復を祈願した聖徳太子の姿を象った「孝養太子(きょうようたいし)」像があった。


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 後世の収蔵品も、いくつか狭い陳列棚にあった。

 室町時代の不動明王。

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 何時の時代だったかな・・・、大黒天。

 サンタさんではありません(念のため・・似てるけど)。

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 中を足早に見終わって境内に。

 もう日が暮れる。

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 あらら、伽藍の入り口は閉まって、受付がもう終わっている。

 受付時間の表示を見ると、拝観時間は16:45!! 

 いやはや、ギリギリだったんだ。やはり寄って行きなさいとの思し召しか・・・


 ここでもやはり他に人はおらず、ほんの10分ほどの滞在だったが密度は濃かった気がする。


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 って訳で、今度は本当に大和八木へ。


 他にも、高松塚とかキトラとかの古墳や、板葺宮跡とか、天武・持統陵墓とか...、行きたいところは山ほどあれど、それはまた別の機会にそれを目的にゆっくり来ないといけないな・・・




 飛鳥の里に夜の帳が近づいていたのでした....。


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 ※立体視の見方は次の記事を参照してね。
  裸眼平行立体視です。
  → http://azm.at.webry.info/200911/article_5.html




 【おまけ】

 石舞台古墳の駐車場脇のおみやげ屋で買った四神せんべい。

 本来はキトラ古墳の壁画を模したおみやげ。

 瓦せんべいに四神の姿が焼き付けてある。

 
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 せんべいの袋に台紙として入っていた厚紙に、四神の絵の印。

 ちょっと加工してみました。

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 おわり



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです。
石舞台、懐かしいです。
もう40年くらい前になります。
奈良は毎年の様に帰省していますが、飛鳥は中々行く機会がありません。
やまとそば
2014/12/15 18:11
やまとそばさん>コメントありがとうございました。返事が遅くなりました〜。奈良が故郷なんですね。奈良は子供の頃の家族旅行と中学の修学旅行でしか行ったことがなく、まして飛鳥は初めてでした。大化の改新から壬申の乱のころの話が好きなので、いたるところワクワクしてしまいました。それぞれ10分か15分くらいでしたので、次はプライベートでゆっくり訪れてみたいと思いました。飛鳥は遠いのでちょっと気合が入りますね。
それでは良いお年をお迎えください。
azm
2014/12/28 07:52

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